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七進七出の意味と元ネタとは?三国志の趙雲が長坂の戦いで起こした伝説を解説!

雑学
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七進七出(しちしんしちしゅつ)とは、趙雲が長坂の戦いにおいて、糜夫人と阿斗を探し出し、救うべく曹操の陣地に何度も侵入し、同じく何度もそこから逃れたという物語は、彼が七度の突入と脱出を遂げたという伝説に由来する言葉です。

日本ではあまり知らないかたも多い「七進七出」について、意味や元ネタなどを解説していきます。

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七進七出の意味とは?

長坂の戦いにおいて、劉備の配下で、五虎将軍の一人「趙雲」が起こした伝説に由来が「七進七出」の意味です。

長坂の戦いで、趙雲は、糜夫人と阿斗を探し出しだす目的で、2人を救うべく曹操の陣地に何度も侵入し、また何度も陣地から逃れたというエピソードは、彼が七度の突入と脱出を成し遂げたという伝承に由来しています。

三国志が好きにはおなじみのエピソードですが、この伝説が「七進七出」の意味として残っています。

ですが、あまり日本では知られていません。

その理由は、実際の歴史記録や「三国志演義」にはこの「七進七出」の記述は存在しないからです。

では、どうしてこの「七進七出」が生まれたのかというと、七進七出は清代の京劇において初めて使われたとされています。

この動画は、長坂の戦いが舞台の趙雲が中心となる「七進七出」の京劇です。

内容は、言葉が中国語なので分からないと思いますが、京劇としてこのようなイメージで趙雲の伝説を表現し、「七進七出」という言葉が生まれたと思われます。

七進七出の元ネタとは?

七進七出の元ネタは、前にも書きましたが長坂の戦いになります。

長坂の戦いとは?

長坂の戦いは、中国の後漢時代の末期に発生した有名な主に劉備と曹操の争いになります。

208年の建安13年に、曹操が荊州への進出を果たし、劉備を追撃するために選りすぐりの兵を率いていました。

湖北省荊門市掇刀区にある長坂で劉備軍を追い詰め、劉備軍が江陵を奪回するのを阻止しましたが、張飛が後衛として抵抗し、劉備は江夏へと脱出することに成功しました。

長坂の戦いの背景とは?

華北を平定した後、漢の宰相である曹操は、南部の荊州地方に注目を移しました。

荊州牧である劉表を倒し、天下統一の野望を抱いた曹操は、15万の大軍を率いて南進を開始しました。

その最中に劉表は病死し、劉家は後継者問題で内紛を起こしました。

劉表の側室である蔡夫人の息子、劉琮を支持する蔡瑁をはじめとする豪族たちは、劉琮を正統な後継者として立て、劉表の長男である劉琦を排除しました。

この長坂の戦いにおいて、七進七出のエピソードですが、以下のように正史では語られています。

正史での実際の七進七出の長坂の戦い

劉備が物資に恵まれた江陵を手中に収める可能性があるため、警戒を強めた曹操は、補給部隊を後方に残した状態で迅速な進軍を敢行し、襄陽を制圧。

曹操自身が曹純、文聘と共に5,000の騎兵を引き連れ、昼夜を問わず迅速な行軍で劉備を追跡します。

当陽県の長坂で劉備を追い詰めた際、劉備は家族を置き去りにして、諸葛亮らわずかな手勢と共に逃走しました。

この時、趙雲は後の劉禅となる阿斗と甘夫人を守り抜きましたが、劉備の二人の娘は曹純の手に落ちます。

趙雲ともう一人の英雄張飛

長坂の戦いといえば、もう一人の張飛の活躍も有名です。

諸葛亮ら一緒に逃れた劉備から離れてわずか20騎を引き連れた張飛は、殿としての役割を果たし、川岸に陣取り橋を断ち切りました。

張飛が怒りに満ちた眼差しで槍を構えてこう叫びます。

燕人の張飛はこの私だ!命を捨てたい者は先に来い!

Wikipediaより引用

このように大声で挑発すると、誰もがその勇猛さに近づくことをためらいました。

このため、劉備は安全に退却することができました。

趙雲と張飛の長坂の戦いでの活躍は、今も三国志で語り継がれるエピソードとして有名です!

中国で実際に起こった消防隊員の「七進七出」の活躍のエピソードとは?

2021年中国の遼寧省の猫カフェで火事が発生。

一人の消防隊員の活躍により、11匹の猫と子猫の入った箱1つを助けたと報じられました。

中国の動画系メディアの星視頻が11日、SNS微博(ウェイボー)への投稿で、消防隊員は「七進七出」の活躍で11匹の猫と子猫の入った箱1つを救出したなどと報じた。

recordchinaより引用

中国のウェイボーのユーザーからの投稿では以下のように言われていました

「趙雲かよ。そして現場は長坂坡かよ」

「趙雲ばりに七進七出の活躍で猫を救った消防隊員にいいねを送ろう」

recordchinaより引用

まさに、七進七出を現代で使うのにぴったりな場面です。

本当に、この消防隊員の活躍は趙雲のようで、多くの猫たちが助かってよかったですね!

まとめ

長坂の戦いでの「七進七出」は、趙雲が糜夫人と阿斗を救出するため曹操の陣地に繰り返し侵入し、無事に脱出した伝説です。

しかし、実際の歴史や「三国志演義」にはその記述はなく、この言葉は京劇で生まれたとされます。

七進七出は趙雲の勇敢な行動を表す言葉。

歴史記録や「三国志演義」には七進七出の記述はない。

京劇で初めて七進七出が使われた。

正史では、曹操が劉備追撃のために迅速な進軍を行い、長坂で劉備一行を追い詰めました。

趙雲は阿斗と甘夫人を守りながら脱出しましたが、劉備の娘たちは捕らえられました。

このように、七進七出とは、長坂の戦いでの趙雲の活躍を表す意味となります!

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