「さようなら」という言葉は、一般的に別れを意味する挨拶として使われています。
では、どうして「さようなら」というのでしょうか?
<この記事で分かること>
- さようならの語源や由来を解説!
- さようならは美しい言葉!世界でも特別な別れの挨拶!
- さようならはいつから使われるようになった?
- 接続詞がどうして別れ言葉になったのか?
この記事では、さようならの語源や由来について解説していきます。
目次
さようならの語源や由来を解説!
「さようなら」という言葉は、別れを告げる際に用いられますが、その起源については興味深い歴史があります。
「さようなら」は元々「左様ならば(さようならば)」という形の接続詞から派生したもので、「それならば」や「それでは」という意味を持っていました。
江戸時代後期に、この言葉は他の別れの表現、例えば「ごきげんよう」「のちほど」といった言葉と組み合わさり、独立した別れの言葉として普及しました。
さようならの昔の言い方とは
1788年の江戸時代の洒落本『曾我糠袋(そがぬかぶくろ)』には、「さやうなら、御きげんよふ」「行ってまゐりやせう」といった例が見られます。
同時に、「ごきげんよう」も別れの言葉として独立し、これはNHKの朝の連続テレビ小説「花子とアン」で使用され、話題になったこともあるのでご存じの方も多いでしょう。
現在でも使われている昔の言い方とは
江戸時代には、親しみを込めて使われる「おさらば」や、少々ぞんざいな「そ(す)んなら」も存在しました。
これらは庶民の間で使われ、現代にも引き継がれています。
「おさらば」は、「さらば」に丁寧な接頭語「お」がついた言葉ですが、現代では「さらば」がより文語的な表現として用いら、また、武士階級では「しからば」という言葉が用いられました。
これらの言葉は、もともと別れを示す接続詞であり、他の表現と組み合わされた後に独立して使われるようになったものです。
さようならは美しい言葉!世界でも特別な別れの挨拶!
さようならは美しい言葉だという、アメリカ人作家がいます。
どういうことなのでしょうか?
さようならは英語で何と言う?世界の別れの言葉の意味とは
それは、世界には様々な別れの言葉が存在しますが、そのほとんどは「神のご加護を祈る」「また会いましょう」「お元気で」といった3つのカテゴリに分けることができます。
例えば、「good-bye」は「God be with you」から派生し、「神が共にあらんことを」という意味です。
また、スペイン語の「adios」も同様の意味合いを持つ言葉。
さらに、「see you again」や「再見(ツァイチェン)」は「また会いましょう」、そして「farewell」や「안녕히계세요(アンニョンヒケセヨ)」は「お元気で」という意味合いを持っています。
さようならは世界の別れの言葉の意味には属さない!
日本語の別れの言葉である「さようなら」が、元を辿れば「そうであるならば(仕方ない)」という諦めと共に悲しみを飲み込もうとする言葉で、good byeに当たる言葉がこのような語源を持つ言語は極めて稀だという話を思い出した。日本人の諦観の美学は実はとても深い所に根付いているのかもしれない。
— 康凱爾 (@plus886) July 20, 2019
しかし、日本語の「さようなら」はこれらのいずれにも属さない独特の言葉です。
日本語には「さらば」「それでは」「じゃあ」「ほな」といった、似たような表現もありますが、それらも上記のカテゴリーに当てはまりません。
このことから、日本語は世界中の言語表現の中でも特異な位置を占めていると言えます。
アン・リンドバーグはさようならの意味に感銘!
アメリカの著名な紀行作家アン・リンドバーグは、世界中を旅し、様々な別れを経験してきました。
彼女は日本語の「さよなら」という言葉に深く感動し、その言葉が持つ意味の深さを『翼よ、北に』で表現しています。
「「さよなら」とは、事実をそのまま受け入れ、別れの瞬間に流れる感情をそのままに表現する言葉であり、他の言葉にはない特別な響きを持っていると述べています。
「さようなら」という言葉は、単なる別れの言葉ではなく、過去を受け入れ未来へと繋げる力を持つ言葉。
別れは常に悲しいものですが、それを通して私たちは何かを学び、新しい何かを受け入れる準備をするのです。
そして、「さようなら」という言葉は、この人生の流れを象徴しているのではないでしょうか。」
さようならはいつから使われるようになった?
「さようなら」という言葉がいつから使われ始めたのかは、平安時代初期頃だと思われます。
例えば、平安時代初期に書かれた「竹取物語」では、登場人物が「さらば、いかがはせむ。」(そうであるなら、どうしようもない)と発言しています。
この場面では、「さらば」という言葉が、前の文を受けて次の文へと繋げる接続詞として使われているんです。
同時期に書かれた「源氏物語」でも、登場人物が「さらば、今日こそは限りなめれ。」(そうであるなら、今日でお別れだ)と使用していることから、これらの接続詞が別れの場面で頻繁に使われていたことが伺えます。
時間をかけ別れ言葉のイメージが定着
このように、平安時代初期から中期にかけて、「さらば」や「さようならば」といった接続詞が別れのシーンで使われることが多かったため、徐々に別れの言葉としてのイメージが定着していったと考えられます。
省略を経て今の「さようなら」に!
時間が経つにつれて、接続詞「さようならば」の後ろに続く文(例えば「今日でお別れです」)が省略されるようになりました。
さらに、この接続詞の「ば」も省略され、「さようなら」という形に変化していきます。
この変遷を通じて、「さようなら」という言葉は、ただの接続詞から、別れを意味する独立した言葉へと進化していったのです。
それは、日本の文化や言語の歴史の中で、自然に形成された言葉の変化の一例と言えるでしょう。
接続詞がどうして別れ言葉になったのか?
日本において「接続詞」が別れの言葉として使われる背景には、独特の文化的要素が関係しています。
日本人はしばしば、言葉にはっきりと表さなくても相互に意図を察し合う能力を重んじる傾向があります。
これは、明示的な表現よりも、状況や感情を慎重に読み取る「忖度文化」の影響といえるでしょう。
さようならで意味深になる!
たとえば、日本語教師が生徒に「さようなら」と言う場合、その背後には「今日は一緒に楽しく学ぶことができましたね。それでは、また明日も共に学びましょう」という一言のうらに、意味深な特別な意図が込められていると考えられます。
このような状況では、「さようなら」という言葉自体に、その日の終わりを受け入れ、明日への期待や希望を込める意味があるのです。
日本の特殊な言葉使い
日本では、すべてを言葉で明確に表現することを好まない文化が根付いています。
言葉に出さずとも理解できることは言わなくても良い、という考え方があり、「さようなら」という言葉には、「これまでの経験を踏まえ、そうであればこれからもきっと大丈夫」という深い意味が含まれています。
この言葉には、今後の安全や幸運を願う祈りのようなものが込められているのです。
さようならはただの別れ言葉ではない
従って、日常的に使われる「さようなら」は、ただの別れの挨拶ではなく、「今までの努力をふまえてこれからも大丈夫、明るい未来が待っている」という願いを内包しているのです。
この意識を持って「さようなら」という言葉を使うことで、相手に対する思いやりや期待をより深く伝えることができるでしょう。
まとめ
この記事では、さようならの語源や由来について解説してきました。
「さようなら」という別れの挨拶の語源や由来は、元々「さようならば」という接続詞から派生しました。
この言葉は「それならば」や「それでは」という意味を持ち、江戸時代後期に他の別れの表現と結合して独立した言葉として普及しました。
例えば、1788年の江戸時代の洒落本『曾我糠袋』には「さやうなら、御きげんよふ」「行ってまゐりやせう」という使い方が見られます。
また、同時期に「ごきげんよう」も独立した別れの言葉として認知され、「おさらば」や「そ(す)んなら」といった親しみやぞんざいな言い方も存在し、これらは庶民によく使われていました。
このように、接続詞が時間を経て別れの意味を持つ言葉として定着し、今日に至っています。